森琴石(もりきんせき)1843〜1921
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索引・略伝

◆当HP内での記述、森家調査で名が出る、名称・事象などの索引及び、人物の略伝を紹介します。
調査情報などでの記述と重複している事があります。
◆「門人紹介(一覧)」・「雅友・知友(一覧)」・「関連資料(一覧)」などでの掲載人物は、現在一部を除き「索引・略伝」には掲載出来ていませんが、順次追加の予定です。
◆準備時間や資料不足の為、掲載順序については無作為な方法を取り、追加は随時していきます。
◆森琴石の親交者や、影響を深く受けた人物であっても、知名度の高い人物については「師匠・先輩達」「雅友・知友」では取り上げず、略伝のみの紹介が多々あります。

項目内で使用度の多い資料名

1:「内国絵画共進会審査報告 明治15年」(第2冊目・農商務省博覧會掛版・明治16年9月)
2:「内国絵画共進会出品人略譜」(農商務省版・国文社刊・明治17年5月)
3:「姿態横生」(日本中央南宗画会刊・明治44年7月)=渡辺淑寛氏(栃木県真岡市)よりご寄贈頂きました。
4:「畫家小傳」(小倉市大阪町 南畫同志會蔵版・明治45年2月)
5:「明治画史 大正画家列伝 乾坤」(福間硯洲著・富田文陽堂発行・大正2年6月)
6:「浪華摘英」・「続浪華摘英」(発行兼編纂 三島聴恵・大正5年12月)=大塚融氏(元NHK記者・数寄者研究家・経営史研究家)よりご提供頂きました。
7:「大阪人物誌 正編」(石田誠太郎著・石田文庫・昭和2年)
8:「大阪人物誌 続編」(石田誠太郎著・石田文庫・昭和11年)
9:「増補 古今日本書画名家辞典」(玉椿荘楽只著・大文館発行・昭和14年)
10:「日本美術辞典」(野間清六,谷信一編・東京堂・昭和27年)
11:「大日本書画名家大鑑」(荒木矩著・第一書房発行・昭和50年1月)
12:漢文学者総覧「長澤矩也監修,長澤孝三編・汲古書院・昭和54年」
13:「佐賀 幕末・明治500人」(福岡博編・佐賀新聞社発行・平成10年12月第2版)
14:「大阪人物辞典」=(三善貞司著・清文堂刊・平成12年)
15:その他「広辞苑」など

:「佐賀 幕末・明治500人」は、佐賀新聞社のご好意により、当HPへの掲載を許諾頂いています。
:【大阪人物辞典】は、著者三善貞司氏のご好意により、当HPにのみ特別に掲載の許諾を頂いています。

中野雪江 (なかの せっこう)

画家



森琴石の親友

平成14年2月」・「平成16年10月」・「画家系譜」・関連資料「ポンペと中野雪江」・「清国人の書簡」の中、朱印然の2番目


浪華画学校 (なにわ ががっこう)

画学校名

略伝・略年表」・「平成18年10月


浪華学画会 (なにわ がくがかい)

画学校名

略伝・略年表」・「平成18年10月


浪華学画会絵画共進会(なにわがくがかい かいがきょうしんかい)

絵画会名称

平成18年10月」・「小田半溪


浪華摘英 (なにわ てきえい)

書誌名

雅友・知友」「索引・略伝」などの冒頭=資料名


長阪雲在 (ながさか うんざい)=長坂雲在

画家



森琴石友人

雅友・知友:「長阪雲在」「木村発(三)」・「平成17年9月【2】」・関連資料「一致帖


長阪翠雲 (ながさか すいうん)=長阪雲在の養子

画家

雅友・知友「長阪雲在」・「門人紹介:大阪市(未記述)」


永松春洋 (ながまつ しゅんよう)

画家

 

名ハ孝字ハ三省、春洋ト號ス、嘉永二年十二月豊後國東國東郡安岐町ニ生ル、幼ヨリ南宋ノ畫法ヲ好ミ、十市汪洋ヲ師トシ山水ヲ學フ、明治十年大分町ニ轉居シ、木下橘巣ニ從ヒ花卉ヲ習フ、二師歿後田能村直入ノ門ニ入ル、嘗テ諸國ヲ漫遊シテ奇勝ヲ探リ、明治廾六年居トシテ浪花ニ住シ、三府、名古屋、岐阜等全國繪畫共進會ニ出品シテ、賞ヲ得タルコト頗ル多シ。(大阪市北區中之島六丁目)
 −「姿態横生」−

 

 

平成17年3月

◆森琴石とは「日本美術協会 大阪支会」で、共に<技芸員>として大阪の美術界を引っぱり、森琴石の日誌にも名が出るなど、森琴石とはかなり親しい間柄だったようだ。

平成20年2月【2】注3末尾★」・「平成20年1月【2】注4」・「平成19年2月【1】注9&◆」・「平成18年10月【1】■5番目


成富椿屋 (なりとみ ちんおく)

画家

文化10〜明治40(1814−1907)

成富鵬明といい、旧蓮池藩士。初め画を佐賀の中島藍皐に学び、書を僧鉄翁及び、のち画を木下逸雲に学ぶ。さらに長崎に学び南宗画を修めた。有田にも滞在して陶画の下絵、絵手本などを多く残している。明治33年皇太子殿下佐賀市行啓の時、御前において松鶴の画を揮毫した。墓は蓮池の浄国寺にある。(「佐賀幕末明治500人」・平成7年・佐賀新聞社)

◆「津田白印」の画の師匠。佐賀藩では明治13年の「勉脩学舎」に始まり、「陶器工芸学校」や「有田絵画学校)」を設立し、有田焼の絵付けの技術を高めてきた。勉脩学舎の第一期生には川浪竹山がおり、明治17年年3月、文部少輔九鬼隆一が訪れ、講演や製造図画のテストをした。ている。陶器工芸学校の初期教師には、森琴石と親交がある「藤田苔石」の子、「藤田苔厳」が任務(明治17年9月)し、成富椿屋は、明治20年より主要教師を務めている。
−「佐賀県教育史 第4巻 通史編」(平成3年)−
◆森家祖母「梅子」の実家、佐賀藩入江家の係累「久米邦武」は、有田焼きの振興に大変尽力していたという。

 

 

平成17年6月


忍頂寺静村 (にんちょうじ せいそん)=忍頂寺梅谷

画家

 

師匠・先輩「忍頂寺静村」・「妻鹿友樵」、画家系図、資料:詩賛「森琴石弾琴之図」、関連資料「千瓢賞餘」大阪府の半ほど菊阿彌の項に名あり、「平成10年10月■2番目◆3」、「平成12年8月■最初」、「平成15年11月」、「平成15年12月■3番目」、「平成16年8月■2番目」、「平成17年1月■2番目2月11月【3】■3番目 注5

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