![]() |
カバー |
内 容
一年有半 (生前の遺稿) 付録 続一年有半 (無神無霊魂) 付録 : 理学鉤玄 |
本書の一部紹介 |
一年有半 |
引
一、 兆民先生 病で泉州堺に在り、余を召して至らしむ。 八月四日 往て候す。 先生数帖の草稿を蒲団の下に取り、莞爾として余に謂て曰く、「我 病勢日に悪しゝ、意ふに 余命幾何もなけん。 若し 今にして一言の後人に告ぐる有るにあらずんば、豈に 読書の人たるに在らん哉。 故に 頃来筆を援て 此稿を成せり。 我瞑目の後、汝宜しく校訂して 以て公にし可し」 と。 余 之を聴き 黯然として答ふる所を知らず。 既にして曰く、「不敏 謹んで命を領す。 然れども 之を出して世に問ふ、生前と死後と 先生に於て何の択ぶ所ぞ。 天下 先生の文を想ふ 渇するが如し。 請ふ 直ちに之を刻するを許せ」 と。 先生 哂ふて拒まず。 曰ふ、「惟 汝善く之を図れ」 と。 翌 稿を携へて京に帰り、同門の先輩 小山久之助君に諮る。 小山君 亦 大に余の意を賛す。 乃ち 大橋新太郎君に託して 之を剞劂に付するを為せり。 一年有半 即 是なり。 夫れ 唯だ数年の後にす可くして、而して 数年の前にする、想ふに 先生 之を以て深く余等を罪せざるべし。
一、 本書 毎節付する所の目次は、先生、余に命じて作らしむる所也。 深く恐る、蛇足狗尾、編中の趣旨と相副ふを得ずして、而して 先生の意に満たざる者多からんことを。
一、 先生 政界を辞して後、多く筆硯と親しまず。 唯だ 明治三十一年一月より四月に至るの間、雑誌 「百零一」 に掲ぐる所の論文四篇、及び 明治三十三年十月より本年三月に至るの間、「毎夕新聞」 に寄する所の論文数十篇あり。 今 其散帙を恐れて 之を巻末に輯録せり。 其剪裁次序の如きは、責 一に不才に在り。
明治三十四年八月十八日
門生 幸徳 秋水 拝識***空白***
一年有半 『生前の遺稿』
中江篤助 著*****空白*****
第 一
◯ 明治三十四年三月二十二日 東京出発、翌二十三日 大阪に着したり。 二三友人 停車場に来り迎へ、余が顔を熟視し 大に驚きて、余が 或は直に卒倒せざるやと迄に思ひたると、旅館に着したる後に言へり。 宜なり 余は去年十一月より頻に咳嗽を患ひ、当時咽喉専門の医の診断には、普通の喉頭加答児 (喉頭カタル) なる旨に付き、爾来打棄置きたるに 喉頭漸く疼痛を覚へ、飲食共に半減せる中、夜汽車にて来りしが故に、斯くは疲労を現したるなる可し。 然れども 此時余は 矢張慢性喉頭加答児位に考へて 打棄置き、四月 紀州和歌の浦に赴き 游ぶこと四五日、然るに 此時よりソロ呼吸微促を覚へ、喉痛依然たるを以て、余の素人と雖も少く気を遣ひ、或は世に所謂癌腫なる者に非ざる耶と、因て 行李匆々大阪に帰へり、耳鼻咽喉専門医 堀内某の診断を請へり。 医 例に依り光線を利用して、仔細検視して曰く、是れ切開を要すと。 余 是に於て 果して癌腫なりと察し、答て曰く、然らば請ふ 一身を托して切開を施されんことを。 既にして 余の友人 余の請によりて手術の証人たるを諾せし者、書面を余の留守許に発し 詳細の事を告げり。 妻 彌々大に驚き 倉皇出発して下阪し来り、余の投宿せる 中の島小塚に至れり。 既にして 衆皆 癌腫切開の極めて危険にして、九死中一生無し、寧ろ維持策を取るに如かざるを謂ひ、余を尼 (とど) めて已まず。 余 固より好みて死を速にせんと欲するに非ず、一息の存する 必ず為す可き有り、亦 楽しむ可き有るを知るが故に、癌腫切開の方は思ひ止まれり。 而して 堀内も 敢て強ひず。 矢張 危険と考へたりと見ゆ。
◯ 余 一日堀内を訪ひ、予め 諱むこと無く明言し呉れんことを請ひ、因て 是より愈々臨終に至る迄 猶何日月有る可きかを問ふ。 即ち 此間に為す可き事と 又楽む可き事と 有るが故に、一日たりとも多く利用せんと欲するが故に、斯く問ふて 今後の心得を為さんと思へり。 堀内医は 極めて無害の長者なり。 沈思二三分にして 極めて言ひ悪くさうに曰く、一年半、善く養生すれば二年を保す可しと。 余曰く 余は高々五六ヶ月ならんと思ひしに、一年とは 余の為めには 寿命の豊年なりと。 此書 題して一年有半と曰ふは 是れが為め也。
◯ 一年半、諸君は短促なりと曰はん。 余は 極て悠久なりと曰ふ。 若し 短と曰はんと欲せば、十年も短なり、五十年も短なり、百年も短なり。 夫れ 生時限り有りて 死後限り無し。 限り有るを以て限り無きに比す 短には非ざる也、始より無き也。 若し 為す有りて 且つ楽むに於ては、一年半 是れ 優に利用するに足らずや。 嗚呼 所謂一年半も 無也、五十年 百年も 無也。 即ち 我儕は是れ、虚無海上一虚舟。
◯ 斯く 一年半てふ、死刑の宣告を受けて以来、余の日々楽とする所は何事ぞ。 旅の身なれば書籍とても無く、先づ差当り 当地の朝日、毎日の両新聞と 兼て愛読し来れる、東京の万朝報とを読む事也。 即ち 此三新聞に由りて 余の世界との交際を継続する事也。 此間 伊藤内閣倒れて、桂内閣 之に紹 (継) て興れり。 極めて微弱なる立憲内閣、否 立憲内閣の幻影 消散して、超然内閣 勃興せり。 桂内閣なる者は 其成立したる丈けにて 世の立憲政治家に向ふての、宣戦布告と謂ふ可し。
◯ 星亨、健在なりや、犬養毅、健在なりや。 民間政治家 一たび利を目的とし、権勢を目的とし、成効を目的とせし以来は 彼れ超然の怪物相共に、冠を弾して 笑ふて曰く、民間党畏るゝに足らず。
◯ 伊藤大隈のリヴアリテー (rivalité、対抗) の時代は去りて、伊藤山県のリヴアリテー時代と成れり。 民間意気の銷沈 実に是に至る。 而して 其原因は 財無きに苦むに在り。 余 故に曰く、今の日本はコルベール (17世紀フランスの重商主義者) の時代也。
◯ 余 是迄 新聞に雑誌に 時々曰へり。 「マンチヱスター」 派経済論は 我日本官民上下を毒せしこと久し。 即ち 自由放任の経済主義 明治政府と共に発展して 其力を逞しくし、今や 経済界の付属品たる交通運輸の機関は 日々に具備して、而して 此等機関を利用すべき主要品たる産物は、三十余年以来 幾何の増殖を見ず、車両有りて積貨無し。 是れ 我が邦 今日の経済界也。 是れ マンチヱスター 派経済論の賜也。
◯ 官民 上下 貧に苦しむ。 是に於て乎 凡そ施為皆姑息 是れ事とし、人情日々に菲薄にして、内閣は復た 一国経綸の造出所には非ずして、個々利慾を貪り 権勢を弄ぶ最高等最便利の階段也。 貴族院は 陽に 党弊を矯正すると称し、陰に 機に乗じ 己れ自ら内閣に割込む地を為さんとして、強て攻撃を粧う 険悪極まる物体の集合所也。 衆議院とは何ぞ 是れ復た 言ふに及ばず、直ちに是れ 餓虎の一団体なるのみ。 夫れ 一国政治の機関たる内閣、貴族院、衆議院の各団体にして、薦紳的野獣の淵叢なるに於ては、国民果して誰に適帰せん。 コルベール出てゝ 縦横裁割 大に利源を開発し、官民上下をして 財に饒ならしむるか。 若しくは 自然の運移よりして 此処猶尚 多く年所を経て、コルベール大力量の効と同じき効を見得るに至るに非ざれば、我日本の政治経済は 竟に観るに足らざる也。
◯ 是より先 余の大阪に来るや、曾て文楽座義太夫の極て面白きことを識りたるを以て、(余は 春太夫 靭太夫を記憶せり) 旅館主人を拉して 文楽座に至る。 越路太夫の合邦ヶ辻 呼物にて、其音声の玲瓏、曲調の優美、桐竹、吉田の人形操使の巧なる、遠く余が十数年前に聞きし所に勝ること 万々。 余 素より義太夫を好む 然れども殊に大阪のものを好む。 東京のものを好まず。 東京の義太夫は 大阪のものに比すれば 一児戯に値せざる也。 其後又 越路の天神記中 寺子屋の段を聞き、忠臣蔵七段に於て 呂太夫 平右衛門を代表し、津太夫 由良之助を代表し、越路太夫 於軽を代表して、所謂 掛合ひに語り、更に 越路太夫が九段目の於石となせの取遣りを語るを聞き、又 明楽座に於て 大隈太夫の千本桜鮓屋の段を聞けり。 夫れより 四月二十日に妻来れるを以て 復た共に文楽座に赴き、其後幾くも無くして 又赴けり。 故に 此忠臣蔵の浄瑠璃は 妻は二度聴き、余は三度聴きて 啻に厭はざるのみならず、愈々聴きて 愈々面白味を感ぜり。 巧なる証拠なり。 蓋し 津太夫の状貌 並に其沈毅の音声、重もくるしき洒落等、正に 千五百石赤穂城代たる 大石内蔵之助其人を思はしむ。 呂太夫の 善く関東音を遣ひ、率直にして勇み膚なる 即ち平右衛門其人也。 若夫れ 越路の優美なる音声と 婀娜 (ゆったりとして上品) なる曲調とに至ては、於軽を模写する 誰か之に近似し得る者ぞ。 真に是れ 戯曲界の一偉観と謂ふ可し。 余 既に三度 此偉観に接す。 一年半 決して促には非ざる也。 孔聖云はずや 朝に道を聞て 夕に死すとも可也。
◯ 然と雖も 所謂一年半も 亦 徐々歩を移し来れり。 若し 一歩も進むこと無ければ 一年半に非ずして 不老不死なるを得ん。 即ち 余が喉頭の腫物 漸次発達して 大に呼吸の促迫を起し来り 夜間安眠すること能はず。 乃ち 堀内医師に謀る。 此時余は 妻及び友人の勧誘に由り、一たび東京に返り 更に下阪せんかと思へり。 堀内 一診して曰く、是れ 危険極まれり、若し此儘にて汽車に御せば 途中必ず窒息す可し、之を防ぐには 気管切開の一法有るのみ、此れ 極て見易き手術にて、気管恰好の処に穴を穿ち、更に銀管を挿入し、以て呼吸に備ふる也と。 妻独り 疑惧して決せず、急に 電信もて 余の従弟 医博士浅川範彦を呼び 之れに謀る。 範彦 固より堀内と同案なり。 更に 当地伝染病研究所長石神某と共に 立会人と成り、五月二十六日を以て 堀内医院に於て切開を施し了はりて、其前方なる浅尾某の一室を借りて 療養を加ふる事と為せり。
◯ 浅尾の家は 今橋一丁目にて 東横堀に面し、右に高麗橋有り 左に築地橋有り、更に 前方即ち東方に 天神橋屹然として起り、夜間 両岸の灯火水に映じて 恍として 純然たる水郭に居るの想有らしむ。 是に於て 毎日 堀内院長来診して 創口を療し、余は 平臥 動くこと無く 以て医命に従へり。 夫れ 気管切開術、小手術なるには相違なきも 手術は手術にて、其初や 相当疼痛を覚へ、而して 今後咳嗽する毎に、痰口より出でずして 胸より出づ。 而して 声音全く嗄渇して 些の反響なく、僅に 近接して談話を便するのみ。 果然余は一種の不具者と成り了はれり。 而して 是れ 根本的治療には非ずして 唯夫の一年半を迎する間、窒息して死するを予防するに過ぎざるのみ。
◯ 気管切開の事、京阪間に伝へられてより、書翰日々輻湊して 手術後経過の状を問ひ来るものには、余 妻をして 経過極て良好なりと報ぜしむ。 而して 世人多くは 癌腫に於ける気管切開の何物たるを省せず、直ちに認めて 根本的切開と為し、更に書を発して 大に祝賀し来る者比々 (頻々) 皆是れ也。 所謂一年半は 唯だ余と妻と之を知るのみ。 即ち 東京来書中 二児の葉書若くは封書有り。 云ふ、父上御病気追々快復云々と。 此処 父親たる余に於て 聊かストイック的哲学の工夫を把り来りて、自ら防がざる可らず。 人間も亦 愚痴なる動物なる哉。 呵々。
… < 以下略 > …
続一年有半 |
引
続一年有半、一名 無神無霊魂は、兆民先生が、其 哲理的所見の一斑を 説示せられたものである。
先生の哲学は、実に 古今東西の学説以外、宗教以外に 一歩を抜て、別にナカヱニズムとも名くべき 一家のシステムを持して居られたのである。 而して 之を詳密に論述して 一大著作を成さうといふのが、哲学者としての先生が、多年の志願で有つたらしい。 夫には 数年の糧を貯へねばならぬ。 万巻の書を備へねばならぬ。 全く俗累を断たねばならぬ。 其上で思ふ存分に書くつもりだと、屡ば余等に語られたことがあつた。 併し 哀い哉、先生が是れならばと満足して筆を下すの機会は、遂に今日まで来なかつた。
今歳の四月から大阪で病に臥され、余命は一年半と限られた。 夫から 近年罕れな淫雨の鬱陶しさに、続いて焼くが如き酷熱で、健康の者さへ堪へ難いのに、況して不自由がちの旅先で、迚も大部の物を組織的に書くといふのは、重患の人には出来る訳でない。 残念ながら前の 『一年有半』 を絶筆として 哲学の方は果し得ないであらうと思はれた。 秋涼の候になつて 書ければ書きたいけれどもと、是も当時話された所である。
先月即ち九月十日に 漸く帰京することを得られたが、無論病勢は益々進んで居る、 猶ほ進みつゝある、言ふことは出来なくなつた、腫物は追々痛み出した、談話は総て筆談といふ有様で、一年半の約束期限は大分短縮されさうになつた。 到底不治の疾だから 療養するの必要もないけれど、少しでも時間があれば、責めて哲学の大要だけでも書遺したい、一日に五ペーヂも書けば、二十日か一月も活きてれば沢山だ、活きるといふなら取掛るといふので、浅川博士が主治医となり 橋本、岡田、両博士の診察を煩したら、二ヶ月余りは大丈夫で有るとのことだ。 夫ならと言つて書き初められたのが、此書である。
切開した気管の呼吸は奄々として、四支 (肢) 五体は鶴の如く痩て居るが、一たび筆を取れば 一瀉千里の勢ひである。 令閨始め一同が、そんなにお書きなさると 一倍病気に触りましやう、お苦しいでしやうと言ても、書なくても苦しさは同じだ、病気の療治は、身体を割出しでなくて、著述を割出しである、書ねば此世に用はない、直くに死でも善いのだと答へて、セツセと書く、疲れゝば休む、眠る、目が覚めれば書く といふ風であつた。 病室は 廊下つゞきの離れで、二室の奥の方に、夜も一人で臥されて居る。 半宵夢醒で四顧寂寥として人影なく、喞々たる四壁の蟋蟀の声を聞くと、殆ど墓場にでも行てるやうで、心が澄渡つて 哲理の思考には尤も妙だから、大抵は半夜に書くとのことであつた。 而して 日に一時間か二時間かで、病気の悪い時には二三日も続けて休まれたが、九月十三日から初めて僅かに十日ばかりで、二十二三日には早や完結を告げて居た。 今更ながら 其健筆実に驚くべきである。
但だ 数年の糧と満巻の書を具へての組織的の大著作を との希望が、今や其日に追はれる貧乏の中で、一冊の参考書もなく、僅か十日か二十日の間に、病苦を忍んで大急ぎで書き上げねばならぬこととなられたは、思へば実に情けなさの限りである。 本書も固より書き放しの其儘で、一字の推敲も一句の鍛錬もせられる暇はない、書けば限りがない、病気も余程進んだから是れ位ひにして置くと言て渡されたので、余は 其発行を是非とも生前の間に合したいと思つて、草々に持て来て剞劂に付した。 夫れ 千万の瓦礫よりも一粒の金剛石で、縦令長年月を費さずとも、大部でなくとも、先生の哲学の神髄骨子は、正に此書に依て伝へらるゝであらう。 余等 固より能く先生の学の万一を覗ふことは出来ないが、若し後人 先生の学を表章せんとする者あれば、此書に資すること、蓋し 多いであらうと信ずる。 唯だ是丈けが 不幸中の幸である。
此書を 『一年有半』 の続とされたのは 外ではない。 事項は全く異つても、其日月は矢張一年半の限内で、且つ 先生の境遇は少しも変らないから、特に斯く題したのである。
巻末に、先生の旧著 『理学鉤玄』 一冊を付して置いた。 是は 古来の哲学諸派の学説を網羅して、能く其綱を授け要を撮り、一読容易に泰西哲学の何物たるを解するを得て、大に本書を看る人の参考と為るのみならず、其文章も亦 蒼勁精錬、優に後進の模範となるであらうと信じたからである。
以上 本書発行に至つた次第を明かにするの必要ありと感じて、長々しくも巻端に引するに至つた。 其僭越の罪は、深く先生と江湖とに向つて謝する所である。
明治三十四年九月
門人 幸徳 伝 拝識***空白***
続一年有半 『一名 無神無霊魂』
中江篤助 著*****空白*****
第一章 総論
理学 即ち世の所謂哲学的事条を研究するには、五尺の躯の内に局して居ては 到底出来ぬ。 出来ることは出来ても、其言ふ所ろが、知らず識らずの間 皆没交渉と成るを免れぬ。 人類の内に局して居てもいかぬ。 十八里の雰囲気の内に局して居ても、太陽系天体の内に局して居てもいかぬ。
元来 空間と云ひ、時と云ひ、世界と云ひ、皆 一つ有りて二つ無きもの、如何に短窄なる想像力を以て想像しても、此等 空間、時、世界てふ物に、始めの有るべき道理が無い。 又 上下とか東西とかに、限極の有る道理が無い。 然るを 五尺躯とか、人類とか、十八里の雰囲気とかの中に局して居て、而して 自分の利害とか希望とかに拘牽して、他の動物 即ち禽獣虫魚を疎外し軽蔑して、唯だ人と云ふ動物のみを割出しにして考索するが故に、神の存在とか、精神の不滅、即ち 身死する後 猶ほ各自の霊魂を保つを得るとか、此動物に都合の能い論説を並べ立てゝ、非論理極まる、非哲学極まる囈語 (たわごと) を発することに成る。
プラトン (Platon, 前427? - 347?) や、プロタン (Plotinos, 205 - 269?) や、デカルト (Descartes, 1596 - 1650) や、ライプニット (Leibniz, 1646 - 1716) や、皆 宏遠達識の傑士で有りながら、知らず識らずの間 己れの死後の都合を考慮し、己れと同種の動物 即ち人類の利益に誘はれて、天道、地獄、唯一神、精神不滅等、煙の如き 否な 煙なら現に有るが、此等の物は唯言語上の泡沫で有ることを自省しないで、立派な書を著はし、臆面も無く論道して居るのは 笑止千万で有る。 又 欧米多数の学者が、孰れも母親の乳汁と共に吸収して 身躯に血管に浹洽して居る 迷信の為に支配せられて、乃ち 無神とか無精魂とか云へば 大罪を犯したるが如く考へて居るとは 笑止の極みで有る。
成程 人の肉を肝にして 恣睢暴戻を極めた盗跖が長寿して、亜聖とも云はるゝ顔回が夭死し、其他世上往々逆取順守を例とせる盗賊的紳士が栄えて、公正の行を守る人物が糟糠だにも飽かずして死するを見ると、未来に真個公平の裁判所が有ると云ふが如きは、多数の人類に取りて都合の好ひ事で有る。 殊に 身大疾に犯され、一年、半年と 日々月々死に近づきつゝ有る人物等に在つては、深仁至公の神が有り、又 霊魂が不滅で有つて、即ち 身後猶ほ独自の資を保ち得るとしたならば、大いに自ら慰むる所が有るであらう。 併し 夫では 理学の荘厳を奈何せん。 生れて五十五年、稍や書を読み理義を解して居ながら、神が有るの霊魂が不滅と云ふやうな囈語を吐くの勇気は、余は不幸にして所有せぬ。
余は 理学に於て、極めて冷々然として、極めて剥出して、極めて殺風景に有るのが、理学者の義務 否な根本的資格で有ると思ふので有る。 故に余は 断じて無仏、無神、無精魂、即ち 単純なる物質的学説を主張するので有る。 五尺躯、人類、十八里の雰囲気、太陽系、天体に局せずして、直ちに身を時と空間との真中 (無始無終無辺無限の物に真中有りとせば) に居いて宗旨を眼底に置かず、前人の学説を意に介せず、茲に独自の見地を立て、此の論を主張するので有る。
(一) 霊魂
第一 霊魂より点検を始めやう。 霊魂とは 何物ぞ。
目の視るや、耳の聴くや、鼻口の臭食するや、手足の捕捉し行歩するや、一考すれば 実に奇々妙々と謂はねばならぬが、誰か之を主張するのである。 想像の力、記憶の力に至つては、其奇なることは更に甚しい。 乃至 今日国家社会を構造する誰の力ぞ。 諸種学科を闡発し 推進し、蛮野を出でゝ文明に赴く者、皆 所謂精神の力と云はねばならぬ。 若 (もしくは) 夫れ体躯は唯五尺とか六尺とかに限極せられて、十三元素とか十五元素とかを以て 捏ね固められて、畢竟一の頑肉である。 然れば 霊妙なる精神が主と為りて、頑肉なる体躯は 之れが奴隷で有らねばならぬ 云々。
此言や 是れ正に 大謬戻に陥いる第一起頭で有る。 精神とは 本体ではない。 本体より発する作用である。 働きである。 本体は 五尺躯で有る。 此五尺躯の働きが、即ち 精神てふ霊妙なる作用である。 譬へば猶ほ 炭と焔との如きで有る。 薪と火との如きで有る。 漆園叟 (荘子) は 既に此理を覰破 (看破) して居る。 夫れ 十三若くは十五元素の一時の抱合たる躯殻の作用が、即ち精神なるに於ては、躯殻が還元して 即ち解離して 即ち身死するに於ては、之が作用たる精神は 同時に消滅せざるを得ざる理で有る。 炭が灰に成り 薪が燼すれば、焔と灰とは 同時に滅ぶると一般である。 躯殻既に解離して精神猶ほ在りとは 背理の極、苟くも宗教に癮黴せられざる、自己死後の勝手を割出しとせざる 健全なる脳髄には、理会され可き筈でない。 唐辛は無くなりて辛味は別に存するとか、大鼓は破れて鼕々 (トントン、ドンドン) の音は独り遺つて居るとか、是れ果して 理義を思索する哲学者の口から 真面目に言はるゝ事柄で有らうか。 十七世紀前の欧州では、若し無神無精魂の説を主張すれば、或は水火の酷刑に処せられたので、已むを得ぬ事情も有つたかは知らぬが、言論の自由なる道理に支配せられ可き今日に在て、猶ほ此囈語を発するとは 何たる事ぞ。
故に 躯殻は本体である。 精神は 之れが働き 即ち作用である。 躯殻が死すれば 精魂は即時に滅ぶるので有る。 夫れは 人類の為めに 如何にも情け無き説では無いか。 情け無くても 真理ならば仕方が無いでは無いか。 哲学の旨趣は 方便的では無い。 遺諭的では無い。 縦令 殺風景でも、剥出しでも、自己心中の推理力の厭足せぬ事は言はれぬでは無いか。
若し 宗旨家及宗旨に魅せられたる哲学者が、人類の利益を割出としたる言論の如く、果して躯殻の中に、而かも躯殻と離れて、躯殻より独立して、所謂精神なるものが有つて、恰も人形遣が人形を操る如く、之れが主宰と成つて、躯殻一日解離しても、即ち身死しても、此精神は別に存するとすれば、躯殻中に在る間は、孰れの部位に坐を占めつゝ有るか。 心臓中に居るか。 脳髄中に居るか。 抑も胃腸中に居るか。 是れ 純然たる想像では無いか。 此等臓腑は 孰れも細胞より成立ちて居るからには、彼れ精神は 幾千万億の細片と成つて 此等細胞中に寓居しつゝ有るか。
曰く、精神は無形なり 実質有るに非ずと、此言や 正に意味なき言語で有る。 凡そ無形とは 吾人の耳目に触れない、否な 触れつゝ有ても 吾人の省しないものを謂ふので、即ち 空気の如き、科学の目にのみ有形で、顕微鏡にのみ有形で、肉眼には正に無形で有る。 凡そ無形とは 皆此くの如く、実質は有ても極めて幺微 (細微) で、吾人之れが触接を覚えないでも、其実は矢張形有るものを謂ふので有る。 彼れ精神の如き、若し此くの如くで無く、純然無形で実質が無いとすれば、是れ虚無では無いか。 虚無が躯殻の主宰なりとは、果して穏当なる言ひ事であるか。
凡そ無形と云ふものは、皆 今日迄の学術で未だ捕捉し得ないか、又は 学術では捕捉されても、肉体に感得せられないもので有る。 即ち 光、温、電等の如きでも、学術益々進闡した後は、果して顕微鏡で看破し得るかも知れないでは無いか。 彼れ精神の如きでも、灰白色脳細胞の作用で以て、其働らく毎に 極めて幺微の細分子が飛散しつゝ有るかも知れないでは無いか。 凡そ 学術上未解の点に就て 想像の一説を立るには、務めて理に近いものを択ぶが当然で有る。 即ち 精神の如きも、躯殻中の脳神経が絪縕し 摩蘯して、茲に以て 視聴 嗅味及び記憶、感覚、思考、断行等の働らきを発し、其都度 瀑布の四面に濆沫飛散するが如くに、極々精微の分子を看破し得るに至るだらうと臆定し置ても、必ずしも理に悖りて (背いて) 人の良心を怒らすが如き事は無いでは無いか。 之れに反し、分子も形質も無き純然たる虚無の精神が、一身の主宰と成りて諸種の働らきを為すと云ふが如きは、如何にも悖理 (背理) では有るまいか。 人の良心を怒らす可き性質では有るまいか。
… < 以下略 > …
終
らんだむ書籍館 ・ TOP |