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平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します
■ | 「水澤縣廢、磐井縣ト成 一ノ関二置」・「小田縣を廢シ、岡山縣へ合併」 注1 の、書き出しで始まるのは、5冊組の縦14.5cm横9cmの、森琴石「控え帖」5冊目のものである。前4冊は唐・宋代などの漢詩を写 し取っている。見開き頁の中央、綴じ部分の下方には「響泉艸堂臓」と薄く印刷されている。15頁にわたって書かれたものは、明治8年頃からの、琴石への、作品製作依頼者などを控えたものと思われる。
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■ | 下記6月度に記述の、藤本鉄石「17回忌追悼茶筵」の記録書「藤本鉄石先生薦場余録」に登載する人物には、森家身内とみられる者や、琴石若年時よりの門弟「明田月樵 注1」、琴石著書の序文などに度々揮毫している「本城 梅屋 ほんじょう ばいおく 注2」が含まれている。また明治3年、「副島種臣」の清国訪問の折、派遣随行者となった「花房義質はなふさ よしもと」に同行した槍術家「東馬安太」や、藤本鉄石が信奉した「黒住教 くろずみきょう」の重鎮「森下景端」の甥、「河原信可」など 注3、岡山関係者も含め、琴石の交流や森家関係を検証する調査の手がかりとなるものである。
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