平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します
2月20日より4月1日まで、天理大学附属天理参考館の東京ギャラリーで、 「幕末明治の銅版画-玄々堂と春燈斎を中心に-」展が開催され、響泉堂刻による「天台宗総本山 比叡山延暦寺略図」が展示されている 注1。著者「眞田義恵」及び出版者「松村勝順」の人物像については目下不明である。
文人森琴石は禅僧との交流があり、岐阜県土岐市妻木の禅寺に逗留するなどの足跡が見られる 注2。森家には「黄檗山万福寺」に原本が所蔵されている「陳 賢 ちん けん」筆による「観音帖」の摸写 注3 が17図残され、その他多数の「仏画類」が残されている。明治26年10月、森琴石は「芝天徳寺」を訪れ「釈迦如来像」をスケッチした 注4。
「天台宗総本山比叡山延暦寺略図」 (明治13年3月4日)
著者 :大阪府平民 眞田義恵 出版人:大阪府平民 松村勝順 大阪 :響泉堂 銅刻 / 36.9cm×48.8cm
*「平成14年9月」をご覧ください。 *森家には「土岐姓」のゆかりの者がおり、この土岐市妻木の禅寺は、土岐頼重が創建した。(家族・係累「森家」) *森琴石と「土岐市妻木の美濃焼、禅寺」については、「森琴石画集」などで、研究者による論文にてご紹介の予定です。
注3・注4
模写:森琴石 陳 賢筆「観音帖」模写(原本:黄檗山萬福寺)
芝天徳寺 釈迦如来図 スケッチ : 森琴石(明治26年) (画像は、文字の部分を中心とした)
天理大学附属図書館の特別本 注1には、森琴石が題画を担当した「断魚渓題詠集 完 注2」が所蔵されている。島根県邑智郡井原に住む「野田 慎 注3」は、号を「断魚渓樵」と名づけるほど、石州第一の秘境「断魚渓 だんぎょけい」を愛した。断魚渓の名を広く世間に知らしめたいと、20数年をかけ、名士や歌人に詩歌・俳句を依頼した。集成した百三十一首は、明治21年に一冊本として刊行された。収録した詩歌・俳句の作者は、野田慎と同郷の「石見国」や「邑智郡井原村」、題字の揮毫者「古竹園五岳」の郷里「豊後国」の歌人が相当数を占める。森琴石の友人画家「吉嗣拝山」や先輩画家「大雅堂定亮」、当時大阪に職した「山県白英(有朋)」、森琴石の交流者、歌人「弾 琴緒 注4」や、森家祖母「梅子」が、嫁ぐ前に同じ邸内で過ごした「大隈綾子・久万子 注5」の歌も収められている。その他、福井藩主「松平慶永」や「鈴木重嶺」・「久我建通」の名も見える。
同著の「題画」を森琴石が担当し、「藤澤南岳」・「中村良顕」・「三瓶浩斎」が題字や序文を揮毫、印刷者の「武藤稲蔵」を含め全て交流関係にある 注6。
森琴石は島根県を含む山陰地方には多くの足跡や交流者がある 注7。明治8,9年頃の「控帖」には「雲洲大東町 富田屋■衛門 同 阿用村 蓮花寺 注8」というメモ書きがある事も含め、相当古い時代からの縁があるようだ。
特別本=貴重書・特別文庫等
弾琴緒=名舜平・大阪の趣味人・歌人中村良顕に師事する・森琴石の近隣高麗橋三丁目に住し、書肆「桐園社」を興し、多数の歌集や官公庁用の出版物等を手がけた。11歳の時には、明倫館の橋本香坡に師事している。(後月略伝等でご紹介します) *「伴林光平翁贈位告祭式手向歌」 (弾舜平・明25.7)、伴林光平著「標柱 月瀬紀行」(明治14年・伴林光男刊行・標柱兼出版 弾舜平出版)など、伴林光平の出版を手がけている。→ 「平成17年4月 注4」
森琴石の島根などの足跡(HP記述箇所) 門人紹介「舩田舩岳」・「嘉本周石」、「平成15年9月・同10月」・「平成16年5月、同6月」)など