森琴石(もりきんせき)1843~1921
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森琴石 調査情報

平成10年10月~現在まで、森家での調査などをご紹介します

■調査情報 平成17年(12月)

【1】

鼎金城門下で、森琴石の兄弟子に当たる「行徳玉江 ぎょうとく ぎょっこう 注1」は篆刻家としても知られた。その技術は「画書題跋落款自在」に著され、森琴石は挿画を担い、「書画落款自在」では森琴石が挿画と出版を担った。森琴石は篆刻も趣味としており、大正10年5月、森琴石没2ヶ月後に門弟近藤翠石が編した「森琴石先生印存」150種の印は、全て森琴石の篆書による。「森琴石印存」の題字揮毫者は「近藤南洲」。

京都大学附属図書館「谷村文庫」には、「行徳玉江」の『日本名勝詩選 注2』が収蔵され、一部が画像閲覧できる 注3。名勝詩選に収められた漢詩人は師匠の「鼎金城 注4」をはじめ「頼山陽」・「廣瀬旭荘」・「斎藤拙堂」・「梁川星厳」・「遠山雲如」・「藤森弘庵」・「小野湖山」・「大槻盤渓」・「菅茶山」・「林羅山」をはじめ・「石橋 矼(石橋雲来) 注5」の名も出る。序文は「藤澤南岳」が書いている。

大阪師範学校で松原三五郎に画を学んだ「佐野岱石」は、卒業後は行徳玉江に師事し、玉江歿後は森琴石の門下となった。「鼎金城」門下は大阪の画壇では少数派であるが、暗黙の絆で結ばれ、森琴石や周辺の交流者は、先輩や師匠から受け継いだ層の厚い人脈がある 注6

 
 
注1
 
行徳玉江(ぎょうとく ぎょっこう)=師匠・先輩たち「行徳玉江」をご覧ください。
 
注2・注3
 

「日本名勝詩選 六集」 =行徳玉江編・青木嵩山堂・明治32年12月

 

京都大学附属図書館所蔵 谷村文庫『日本名勝詩選(1・2、3・4、5・6)』をご覧ください。末尾より16番目くらいにあります。

 
注4
 

鼎金城の漢詩   アドレス→(138509 bytes of JPEG FILE

 
注5
 

「矼 石橋」の漢詩は、鼎金城の右隣にあります。石橋雲来の「石橋 矼」での名前は、関連人物「木村 發 (三)」に記述があります。

 
注6
 

●頼山陽
平成15年3月■2番目」・「平成17年4月」・「平成17年10月 注11・13」、関連人物「井上不鳴
●斎藤拙堂
平成17年4月」・「平成17年6月■3番目 注6三島中洲」・関連人物「高見猪之助
●廣瀬(広瀬)旭荘
平成17年4月 注7末尾」・「平成17年8月◆末尾 上野煕(梅塢)」・「森琴石 画家系図
●梁川星厳
平成12年3月」・「平成16年11月 注3・注4」・「平成14年4月」 *妻の梁川紅蘭は「一致帖」に名がある
●遠山雲如
平成15年11月
●小野湖山
平成17年1月■2番目注3」・「平成17年7月注13の下 b 木蘇岐山」・「平成17年11月注2」・関連人物「木村 發

 
【2】

森琴石は、奈良や紀伊にもゆかりが深い。和歌山の画家「野呂介石」のスケッチ帖を、琴石が全摸写した「綴じ帖」が森家に存在する。「月ヶ瀬」との関係については先にご紹介したが 注1、銅版による「奈良名所独案内 全 注2」を作成し、当ホームページ「平成11年度の展覧会情報」に名が出る「岩本氏」は、父が紀州出身で、森家実曾祖母「ゑい 注3」の甥といわれている。森琴石の日誌には、奈良の「御所 ごせ」に親しく交流する人物の記述がある。森琴石の長女「昇 しょう」は、伊勢の堀木氏に嫁ぎ、孫の「加津」は奈良の西藤氏に嫁した。伊勢・松阪からは、かつて森琴石の作品が、しばしば骨董商の店先に並んでいたという情報が寄せられている。

 
 
注1
  平成17年4月」などに記述があります。
 
注2
 

「奈良名所独案内 全」=銅版筆彩絵地図・金澤昇平(奈良)編・橋井善次郎(奈良)出版・明12年5月刊=神戸市立博物館蔵

 
注3
 

森琴石二度目の妻。琴石は生涯3度の結婚をした。子供は「ゑい」との間のみ。後月「家族・係累」で簡単に紹介します。岩本氏は「ゑい」の妹の子供とされる。

 


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