森琴石(もりきんせき)1843〜1921
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森琴石 関係人物紹介

森琴石の師匠や先輩・友人知人など、また琴石の周辺の人物を紹介します


雅友・知友   す  そ

【項目】        や、ら、わ

項目内で使用度の多い資料について(各項目で、書名・資料名のみにする場合があります)

◆「浪華摘英」(浪華摘英編纂事務所・三島聰恵発行・大正4年8月)、「続浪華摘英」(発行兼編纂三島聴恵・大正5年12月)=大塚融氏(元NHK記者・数寄者研究家・経営史研究家)よりご提供頂きました
◆「大阪人物辞典」=三善貞司著・清文堂刊・平成12年
◆森琴石日記
(明治42年8/3 〜10/7、明治45年2/15〜7/31、大正元年8/1〜10/5 間での断片的に残るもの。翻刻者=成澤勝嗣氏(神戸市立博物館)

さ項

佐久間舜一郎(さくま しゅんいちろう)

小倉市史続編(福岡県小倉市役所発行・昭和15年12月16日)より

●関連項目=最新情報「平成16年3月」・「平成18年7月
●響泉堂刻「岡山県地理小誌」・「岡山県地誌略字解」・「漢史簡覧」などの著者
●関連する人物=西尾吉太郎・柴原宗助


佐久間舜一郎

佐久間舜一郎は歌人佐久間種の長男なり。長く教育に従事す。その略歴

明治10年ヨリ12年マデ岡山県立師範中学校兼教諭。

同13年ヨリ14年3月マデ小倉ニテ私塾ヲ開ク。

同14年4月ヨリ15年6月マデ岡山県津山中学校教諭。

同15年9月ヨリ21年2月マデ岡山県立師範中学校兼教諭。

同21年3月ヨリ22年2月マデ地理実地調査ノ為全国漫遊。

同22年3月出京、日本地理正宗編輯、23年完成。

同32年ヨリ34年3月マデ長野県立師範学校教諭。

同34年4月ヨリ37年3月マデ岡山私立関西中学校教諭。

同39年秋田市ニテ北羽発達史ノ著述ニ従事、41年8月完成。

同42年3月ヨリ大正3年3月マデ慶応義塾商工部教諭、傍日本水産史著述ニ従事、大正5年11月完成。

大正3年3月慶応義塾商工部教諭ヲ辞ス。

同14年12月14日歿、年80。



◆発行者の小倉市は昭和38年に解散し、現在は北九州市の小倉北区・小倉南区となっている。

◆佐久間舜一郎著書「漢史簡覧 かんしかんらん」についての覚え書き

「漢史簡覧 かんしかんらん 巻一」
見返し(扉) :佐久間舜一郎著述・明治十一年7月出版 岡山県師範学校蔵版
  奥附=明治10年版権免許・明治11年7月出版・同十五年六月二日御届同刻成
  著作人=福岡県士族佐久間舜一郎・岡山県師範学校蔵版
  発兌書肆=岡山区新西大寺町 西尾吉太郎・同区濱田町 竹内彌三郎・ 同区中之町 渡邉裕吉・同区西大寺町 安部勝忠撰并書:岡山県師範学校校長 太田卓
  挿入地図=「高麗橋三丁目栴檀ノ木(せんだんのき)響泉堂刻」・「響泉堂刻」などの、銅版刷着色「支那歴史地図」が五葉挿入されている。
 

参考1 森家蔵

「漢史簡覧 第二巻」 年記なし・「豊津 佐久間舜一郎編集」・巻末に響泉堂   刻銅版墨刷着色「兩晋南北朝州郡丿圖」一葉挿入

参考2 渡辺私塾文庫蔵

「漢史簡覧 第二巻」
地図挿入なし・豊津 佐久間舜一郎編輯・年記不明
(渡辺私塾文庫所蔵品目録〔5〕美術書・稀観本・草稿・画稿・画帖 ・250、明治大正昭和初期の和本教科書多数 ・7、漢史簡覧2冊より)

参考3 森 登氏蔵

「漢史簡覧一」
版権免許 明治15年9月13日・出版 明治16年10月・著述兼出版佐久間舜一郎・発兌書肆_西尾吉太郎・文粋堂蔵版・挿入地図「大坂栴檀木響泉堂刻」の銅版墨刷木版色刷の「支那歴史地図」が数葉挿入されている。

参考4 熊田 司氏蔵

「漢史簡覧 第一巻」
外題:漢史簡覧 佐久間舜一郎著 一
奥附なし
挿入地図六葉(冒頭地図-大坂南本町四丁目三十四番地 響泉堂刻)

「漢史簡覧 第二巻」
外題:漢史簡覧 佐久間舜一郎著 二
奥附:明治十年十二月六日版権免許・同十一年七月出版・同十五年六月二日御届同刻成
著作人=福岡県士族 佐久間舜一郎・岡山県師範学校蔵版・発兌書肆-西尾吉太郎、竹内彌三郎、渡邉裕吉、安部勝忠

「漢史簡覧 第三巻」外題:漢史簡覧 佐久間舜一郎著 三
挿入地図一葉
奥附:明治十年十二月六日版権免許・同十一年七月出版・同十五年六月二日御届同刻成
著作人=福岡県士族 佐久間舜一郎
岡山県師範学校蔵版
岡山県師範学校御用書舗、製本:岡山県平民竹内彌三郎・発兌=同渡邉裕吉、同安部勝忠

し項

柴原宗助(しばはら そうすけ)

●関連事項=「平成18年7月【1】注4」・「平成18年9月 【2】
●響泉堂刻「岡山県地誌略字引」の出版人。
森琴石著「南画独学揮毫自在」・「墨場必携 題画詩集」などの売捌書肆。
岸田吟香著「清国地誌」 (東京 楽善堂/明治15年)の売捌人でもある〕

(一)
柴原宗助

自由民権運動家・教育者・地方政治家。

幼名恭二。号は秋村。後月郡井原村で柳本甚右衛門の二男として生まれる。

興譲館で阪谷朗蘆に学び、備中高梁の酒造業柴原家に入婿する。

明治初年には酒造業のほかに柴原文開堂を開店し、書籍・文具・小間物・藥の販売、書籍の出版、郵便引き受けなどを営み、高梁地方文明開化のさきがけとなる。

明治11年(1878)学習結社開口社設立の中心となり、自由民権を骨子とした政治論を展開する。

明治12年(1879)上房郡から岡山県議員に選出される。

千葉県桜井静の「国会開設懇請協議案」にいち早く対応し、山陽諸県県会議員連合会設立に動き、国会開設運動に奔走する。

同年10月、中川横太郎、金森通倫を高梁に招き、キリスト教講演会を開く。

明治15年(1882)高梁キリスト教会設立の中心となり、同年福西志計子ら16人とともに受洗。

順正女学校設立に加わり、明治18年(1885)同校初代校長となる。

翌年校長の職を辞し、京都に移り書店開業、同志社御用達となり、自由民権運動に復帰。

板垣退助、植木枝盛、大井憲太郎らの知遇を得る。

明治24年(1991)高梁に青年雑誌社を設立し政治雑誌「自由の天地」を発刊する。

明治31年(1898)後月郡井原町長の職に就き、記念通りの新設など井原発展の基礎をつくる。

明治38年(1905)には請われて上房郡有漢村長に就任、キリスト教精神を背景にした村政を推進した。

―「岡山県歴史人物事典」(山陽新聞社・平成6年)―より

文章:南 智(みなみ さとる)氏=元ノートルダム清心女子大学教授・元高梁高校校長

(二)出版書誌

I:「小學綴字書」(榊原芳野編次・柴原文開堂・明治7年)
後見返しに「文部省藏版書籍翻刻所/(蔵版目録略)/皇漢歐米書肆 備中高梁本町 柴原宗助藏版」とあり=NACSIS Webcat 検索による(奈良女子大学附属図書館)

II:「岡山縣地誌略字解」 (佐久間舜一郎輯・響泉堂刻・柴原宗助・明治11年12月)=「平成18年7月【1】注5

(三)柴原宗助に関する書誌紹介

I:「地域の教育遺産を掘る −井原・後月教育に貫かれた史心−」(井原・後月教育センター編・山陽新聞社発行・平成8年)=南 智氏よりご教示頂きました。 

II:「留岡幸助と備中高梁」(倉田和四生著・吉備人出版・平成17年7月発行)=高梁市教育委員会よりご教示頂きました。

せ項

世良田 信明(せらだ のぶあき)

●関連事項=平成17年9月【2】、「千瓢賞餘」大阪市に記述

(一)
「続浪華摘英」(三島聴恵発行謙編集・大正5年)より転載

世良田信明君

先生は名古屋の人、嘉永壬子の年を以て生る  新田義季の後裔なり
名は信明、童名は珍若 字は文卿
一に雨荘又は夢梅仙奴といふ
幼にして父を喪ふ 母は靜照高木氏  大正元年十二月百三歳の高齢を以て逝けり

先生常に武人を以て居る  最も射を善くし兼て槍剣術柔道に長ず
傍ら歌を詠じ詩を賦し篆隷鐵筆に通じ又好んで梅を畫く 然れども其描法前人の科白に陥らず自ら天真爛漫の趣あり
杜工部、張船山、郭頻迦の風を慕い 篆隷鐵筆は親しく清人金ひん(分+おおざと)、楊守敬などに学び
遠く秦漢六朝の文に倣ふ
和歌は慈母の家学を承け境に随ひ遇に触れて神住気来直に襟懐を吐露し絶えて刻意雕琢せず
又古法舊格に泥まず自ら一家の風を成す 人之れを呼んで天魔調といふ  蓋し其天滿に住するを以てなり

然れども斬道の益友として交を締べる人に間島冬道、伊藤祐命等 其他方外の友多し
詞句往々禅機を帯ぶるものあるは蓋し之れが為なるか、

明治の初年舊藩徳川候に東京に從ひ一時官海に遊びしも倣骨癖を成し毫も時勢に阿らざるを以て志を得ず
明治十九年の秋、家を浪華に移し来り 爾来日夜文墨に親み以て餘生を送る

若し人あり其経歴を問はゞ笑うて答へず  唯だ「ありし世のわか名親の名家の名をかたるも今ははつかしの身や」と詠歌一首を示すのみ

又慈母世に在りし頃「樂しさはその日その日を年たかき親の顔見てくらすなりけり」と詠じとることあり
之れに事りし孝道の一班を窺ふべく其風格頗る感ずべきもの多し(北区市之町二十一番地)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・この後に続く和歌は省略する


◆「続浪華摘英」ご提供=大塚融氏(数寄者研究家、経営史研究家・神戸大学文学部講師)

(二)
森琴石日誌(明治42年)

八月廿四日 晴

○午前、世良田雨荘氏来ル、類焼ニ付、当時大手筋御拔筋東、
田村方ニ寄寓致候由、類焼見舞品併団扇ヲ呈ス、

◆日誌翻刻=成澤勝嗣氏(神戸市立博物館)

=明治42年7月31日未明に、大阪市北区で起こった火事・「北の大火」と呼ばれた

(三)
遺詠集「雨荘居士削残餘稿」
 (編輯兼発行者 京都山本彦兵衛・大正14年3月20日)

序文:坂正臣
題字:永坂石たい(土+隶)
跋文:氈受富教=氈受楽斉(氈受小八郎・森琴石門弟)

氈受富教著「松鶴園詠草」(編輯兼発行者 氈受小八郎・大正5年9月20日)
巻首題字:雨荘居士世信明(世良田信明
題画:森琴石



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師匠・先輩たち(南画儒学洋画法系図)雅友・知友(

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