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中西耕石については、後月「雅友・知友」でご紹介の予定です。 |
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注1 |
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「間部霞山」:森琴石の日誌=略伝「村上我石 (ニ)」 をご覧ください。 |
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注2 |
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森琴石 ~美術界での苦悩~ 記述ヶ所=「平成19年2月【1】■6番目&注8」・関連資料:「絵画叢誌 記事(一)」 など |
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注3 |
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「画家小傳」 (小倉市大阪町・南畫同志會蔵版・明治45年2月)より
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繪畫界の現状を懺げく‐間部霞山(抜粋)
●明治四十四年の初夏より京都大阪東京の地は急轉直下の勢を以て新畫の流行を見るに至れり 昨日まで古畫一點張の老骨董店も俄かに店則を改めて新畫の販賣に從事するのみならず お門違の呉服店や新聞社が頻りに新畫の百幅會だの展覧會だの美術倶樂部だのと騒ぎ廻るに從ひ ヘボ畫工迄も大繁昌を極めて一夜天狗の大先生が其所にも此所にも殖へて來た・・・・・・・・・・以下省略。
●顧みれは過去二年の間に於て本會の中心たりし大雅堂定壱翁、永井香圃翁逝かれて間もなく木村耕嚴翁、細谷立齋翁を失ふ 村田香谷翁老衰して筆を絶つあり 川端玉章翁の老衰せるあり共に痛恨なりとす・・・・・・・・・・以下省略。
●新聞雑誌を買収し番附に運動して自ら大家なりと自惚れるヽに至りては僭越の甚だしきものにして共に歯すべきものにあらず・・・・・後略。
●XXやXXの如き・・・・盛んに骨董商や配下の者を利用し 人為的大家たらんと焦慮するあり 或は贋作に從事し不正の金銭を獲得し酒色に耽溺し・・・・・後略。
- 後に続く人物略伝
- ●森琴石先生(大阪)
「温厚寡言の琴石先生は實に稀に見るの高士なり 雑駁(ざっぱく)にして無趣味の大阪の地に於て繪畫趣味を鼓吹せるものは先生を以て租とす 爾来數十年敢て功名利達の後を趁はす権謀術數を盡くして名を售る徒輩の卑に微はず 只だ是れ眞面目に孜々として租道の研鑽に從ひ更に世上の風塵に染まざるものは先生なり 斬道の大恩人として絶對主権者の地位を有し而して他に比し得るものなき程の實力を有しながら 毫も自尊の風なく衒ふの心なし 嗚呼何ぞ高潔なる清廉なる坐るに古聖先哲を偲ばずんばあらじ 今の策を用ひ謀を設けて高く售らんとし名を衒ふ某々大家先生は須く琴石先生の態度と心情とに對し深く省みて大に恥ぢよ 乱れつ汚れつ己自らを呪へる現代の繪畫界に於て琴石先生の健在あれば吾人頗る意を強ふるに足るものあり
●寺西易堂先生(大阪)
「書風の雄偉と素養の深きと既に一世を壓倒したる易堂先生は數年來健康を損したるため筆硯を遠ざけされしかば既に物故したりとの虚報をさへ傳へられき・・・・・後略」
- 「画家小伝」に掲載人物名(南画同志会会員・掲載順・物故者は会員対象外)
- 望月金鳳翁、三島中州翁、日下部鳴鶴翁、秋月天放翁、野口小蘋先生、児玉果亭先生、巨勢小石翁、前川文嶺翁、原在泉翁、内海吉堂先生、桂田湖城先生、田中柏蔭先生、河村虹外先生、藤田秋塘先生、池田春渚先生、小林卓斎先生、中林静淑先生、綿引東海翁、田村月樵翁、松尾晩翠先生、森琴石翁、三好藍石翁、寺西易堂翁、木蘇岐山先生、吉嗣拝山先生、近藤蘊圃先生、八十島叉橋翁、雲林院蘇山翁、
以上の諸氏は人の知るが如き現代の大家たるのみならず 明治の藝壇に偉大の光彩を放てるものとす
- ★会員以外に南画同士會が認める書画人(物故者は対象外)
- 永井丹水・阿南竹陀・富岡鐵齋・望月玉泉・深田直城・中村不折・高島北海・小室翠雲※・山岡米華(長三洲門下・森琴石の日誌に名あり=門人:大阪市北区 鎌田梅石(四))・小堀鞆音・岸浪柳溪・平尾竹霞・三井飯山・池田桂仙・松山鴨江・森雄山・秦金石・高橋草山・八木文卿・中西松琴・尾竹越道・尾竹竹坡・服部五老・狩野雅堂・手島素岳・横井玉仙女史・手島石泉・小野素文・山元春擧・永松春洋・松岡呉藍・秋月新太郎・前田黙鳳・永阪石たい(土+隶)・藤澤南岳
※小室翠雲=南画正統派を自任する南画家で結成された<正派同志会>の副委員長を努める。森琴石は同会の評議員。大阪の老舗料亭「花外楼」所蔵の「寄合書画帖」には、小室翆雲・森琴石・石野香南・吉村鳳柳などが書画を揮毫している。当時の美術界を知る画帖の可能性がある。 |
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注4、注5 |
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森琴石秘蔵(小画帖) -明治11年前後のもの-
★表装がめくれ、表面からは見えない隠れた裏面に氏名が書かれている。
(森琴石が、当時頻繁に連絡を交わしていた人名と思われる)
右:画帖表側に記された人名 宮原易庵・池田雲樵・浅井柳塘・天野方壷・山中信天翁・中西耕石
左:画帖裏側に記された人名 久保田米僊・天野方壷
画帖の大きさ 縦10,5cm x 横9.0cm
★<小画帖>は、中国文人の書画落款を写したもの。画や文字が消えたものもある。書画人は金冬心・金寿門・胡公寿・張子祥・倪旭華・楊伯潤・柳華廬逸史など。上海で写したという書画人の落款がある。その続きには森琴石が描いた「雲根(石)図」が続く。
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村田香谷の名がある、森琴石の<控え録>及び、「書画名器 古今評伝 3冊」などの資料画像は、後月「雅友・知友:村田香谷」でご紹介します。 |
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注6 |
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「筑前画家村田東圃略伝」(故春山育次郎著・大熊浅次郎発行兼著作・昭和7年)による
資料ご提供者=魚里洋一氏(福岡県立美術館 学芸主任)
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注7、注8 |
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福博、肥前(佐賀・長崎)記述ヶ所=「平成19年3月【1】&【2】」など
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注9 |
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森家の家業に関する記述=「平成18年5月【4】&注3◆末尾」・「平成19年7月【2】」・「平成19年12月【2】『寰瀛記(かんえいき) 小説 柳 楢悦』 ※柳 楢悦(やなぎ ならよし)氏に着目する理由」 など
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